大阪へ 2013年度 その20 (行き 鈍行と新幹線、帰り 新幹線)

 前回から3週間あいて、2月7日大阪へ旅立つ。旅程の都合上、今回は東京までは鈍行だ。1500mだけ泳いで、鈍行に乗車。719系ボックスシートは快適。矢吹でハーフボックス独り占め、新白河からボックスに一人となった。快適に過ごしていると黒磯。すぐ乗り換えの列車は見送って、夕ご飯を買いにヨークベニマルへ。既に見切り価格になったパンやお好み焼きを購入。次の205系の車端部に乗車した。205系は一部の座席が壊れていて座れないという体たらく。黒磯を出ると、揺れる揺れる。登場時のあの快適な車両とは思えない程の老朽化だ。氏家からは立ち客がでて、宇都宮に到着。宇都宮からは目の前の普通上野行きに乗車。ボックス席にありつけた。後ろの方は混雑していたが、徐々に人が降りていき、ガラガラに。隣のボックスの女の子二人だけが長距離旅行中。ボックス席にてお酒を飲み、お好み焼きを食べてくつろぎの一時。しかし寒い。ドア全開になるので、どうしようもないが。翌日からは雪予報で、この寒さだとかなりの降雪になりそうだ。赤羽で埼京線に乗り換え、京王線にて実家に帰宅した。
 翌日は初電で出発。既に粉雪が舞っている。品川始発ののぞみを目指して急ぐ。山手線に乗ると、3席占拠して寝ている若者が。トランクを持った人が多数乗っている。5:26に品川に到着。まだシャッターが閉まっており、シャッターが開くと同時に改札を抜ける。昨日のうちに新幹線の乗車券を買っておいて良かった。5:50頃の入線まで20分近く寒いところで待たされた。6:00に定刻に発車するも、徐行運転。確かに、すでに新横浜には凄い積雪。新横浜から隣にでかいのが座って窮屈なこと。小田原までも徐行運転。中々着かない。しかも、小田原で着雪を落とすために臨時停車した。3分停車後出発。トンネル内はそこそこ飛ばし、三島からは雪が無くなりいつも通りの快走。25分遅れだ。隣のが凄いいびきをたてて寝ており、迷惑千万。夜行バスでは自分もそうなのかもしれないが。
 名古屋に到着。25分遅れで、多数の乗客が乗ってきて立ち客多数となった。名古屋からは再び徐行運転。米原までは180キロ位で走行し、その後野洲付近では散水装置が無い区間となったため120キロくらいに落としての走行だ。結局、京都には45分遅れで到着した。京都からは雪が無くなり、隣も荷物纏めて行ってしまい、小さな女性に変わってホッと一息。大阪には48分遅れの9:07に着いた。目の前には、広島行きのひかりが止まっていたが先発していった。こののぞみ号はたぶん新大阪で時間調整をするのだろう。中々出発しない様であった。9:11に遅れてきた新三田行きに乗車し、大阪環状線に駆け込み9:30には家に到着した。
 帰りは、2月9日。19:50発の始発ののぞみを目指して新大阪へ向かう。娘は昼寝をしてしまい、バイバイが出来なかった。楽しかった子供達との二日間を胸に出発。環状線103系が来たが、新車並みに綺麗になっていた。大阪で快速に乗り換え、一駅で新大阪だ。19:50ののぞみ目指して23番線へ。今日は混んでいるかどうか。変な休日が11日にあるので、今日は臨時列車が全くなく、定期列車に乗るしかない。2号車に乗車。1号車より17mmシートピッチが広く、その効果は抜群だ。新大阪でほぼ80%の乗車率となり出発。京都から台湾人と思われる家族が隣に座った。とても感じの良い人で救われた。お酒を飲みながらくつろいでいると、新富士を通過したあたりで14号車に急病人の報。出動するが遠い遠い。着いたときにはあらかた終わっており、小田原で緊急停車して降ろすこととなったので少しお手伝いをして席に戻った。あとから、車掌さんがお礼を言いに来てくれたのが気恥ずかしかった。新横浜で席を移り、品川で降りた。6分遅れ。品川から山手線、京王線で実家へ帰宅した。
 2月10日は、初電から3本目のいつもの列車。7000系のトップナンバー。29年選手だが、少しもくたびれていないのが凄い。初登場の時に高幡不動まで追いかけたことを思い出す。新宿で山手線へ。しかとされて座席にありつけなかった。池袋から埼京線へ。昨晩の新幹線内での日本酒が二日酔を起こしている。単なる寝不足かもしれない。高崎線に乗り換え。高崎線に座ると、座席が柔らかい。見ると、国府津の車両であった。大宮でつばさ号に乗り換え。自分の指定席には若い女が座っていた。面倒くさいので、こちらは空いている指定席に座った。恐らく、東京から遠距離の指定では通路側しか空いていなかったのだろう。かなり空席は多く、迷惑なことだ。宇都宮からも二人しか乗車はなく、自分の席にも誰も来ず快適。車掌からも何も云われなかった。この日は郡山は大雪後の渋滞が酷く、郡山駅から仕事場まで1時間半もかかってしまった。