大阪へ その6−2

 たっぷりと休んだ8月21日、朝6時半に子供達に別れを告げ、郡山に帰る。652京橋発の列車に乗車、7:00前には大阪に居た。大阪から7:15発の始発の新快速を待つ。前の方は込んでいて、後ろはがらがら。後ろに並んで待つ。時々強い雨が降り、今日の行程が心配だ。新快速は、大阪を半分の乗車率で発車。京都でガラガラになり、草津から4人掛けに引っ越す。足を伸ばしてくつろいでいると、大雨に。しかし、米原到着時にはあがっていた。
 米原では、跨線橋を上り下りしての乗り換え。待っているのは8両の特別快速だから、余裕がある。大垣までは隣に人が座ることなく、ゆったり出来た。大垣から名古屋までが最混雑。大垣始発なら座れたであろう人たちがガッカリした顔をしていた。しかし、名古屋でガラガラに。しかし、周りの人たちは殆ど米原から乗り通していて、降りない。金山でトイレに行ってみると、またしても4人掛けが空いていた。このあと、乗客が増える可能性もなく、そちらに引っ越す。足のばしてくつろぐ。いろいろなことが走馬燈のように駆けめぐる。そして、20年近く前に山口と東京を鈍行で行き来していたことをおもいだす。
 豊橋に到着。豊橋では、日本酒やおつまみを仕入れて岐阜行きに乗り込む。隣の西小坂井まで行って、浜松行きに乗り換える魂胆だ。浜松行きは、珍しいボックス車。日本酒を飲みながらくつろぐ。浜松から熱海までは、いわゆるロングシート地獄。それまでの間に酔っぱらってしまおうと思う。