大阪へその2

6月4,5日の大阪行きに味をしめて、次の大阪行きをうかがう。2週間後の6月17日から出発とした。当初は、夜行バスを考えていたが、体力がもたない。新幹線とした。6月17日、金曜日の仕事が終わるやいなや郡山行きの電車に乗車、1821発のやまびこの乗客となった。一番後ろは16号車で比較的すいていた。三春の日本酒に手を出してしまい、ベロンベロン。東京駅まではやや徐行運転区間もあり、普段より時間がかかり、1956東京着。ラーメン屋を探して丸の内をさまようも、見つけられず、結局成城石井でお酒などを買い込む羽目になった。2047ののぞみに乗車。品川から相席となり、東北新幹線では考えられない狭い行程となった。ベロンベロンになっていると名古屋。お酒飲んで、論文読むくらいしかやることがない。名古屋からガラガラになり、車内探検。N700系は初めてだが、座席が堅く、お世辞にも快適とはいえない。新大阪に定刻に到着。ダッシュで各駅停車に乗り換え、大阪駅へ。なんと、大阪環状線が人身事故で止まっており、しかも振り替え輸送はしないとのこと。仕方なく、北新地まで歩いて、東西線で自宅近くの駅まで行った。自宅到着は2359とギリギリ当日であった。
6月18日は、神戸へ出向き、神戸のプールで泳いだ。50mプールがあるとのふれこみであったが、間違えて25mプールに入場してしまい、残念であった。
6月19日は、車で出発。尼崎インターを13:00に通過。1000円高速最終日故に途中で何度となく渋滞にはまる。一宮経由とするか北陸道経由とするか迷ったが、北陸道経由とした。杉津に1550に到着。1610発。北陸道はいつになく車が多いが、快適に走れる。しかし、徳光PAは大渋滞。おそらく、温泉目的の車と、夕日目的の車が交錯。結局、止めるところがないので、温泉とプールは楽しめず、通過することとなった。更に1時間半走って、越中境に到着。1850で、ちょうど夕陽が美しいときだった。チキンカツカレー580円也で夕食を食べながら夕陽を堪能。暗くなった北陸道を更に北へ目指しだしたのは1940であった。眠くもならず、快調にとばして、黒崎に2200に到着。30分程休憩してから出発。ところが、磐越道でえらくのろい車がいて、眠くなってしまった。23:30、新鶴で休憩。0時を過ぎると周りのトラックが出発していく。そう、その時間から中型車以上は無料になるのだ。0:10に出発し、そのまま病院に泊まった。